PTA、時代に合わないなら、変えちゃえばいいんじゃない?

PTAの問題点をシンプルに考えながら、サクサク変えて、、、、いけるかどうか?ーPTAのオバケを探す旅ー

12.PTA「関わり方改革(案)」具体案編ー委員廃止(最終回)

久々に更新します。

前回のブログ(11.PTA「関わり方改革(案)」具体案編ー委員廃止(その3))を読み返していると、具体案編をもう一つ書くと言っているので、書きます。

 

PTA会長になり、現在は3ヶ月ほど経ちますので、日々いろんなことが動いています。その中で感じることや、ツッコミどころや、今後の方針など、私の考えもアップデートされています。

 

今は強烈に、

 

目の前の反対意見(?)に一つづつ答えていても、前に進まないない!

 

と思っているので、

 

PTA会長になる前に考えていた「具体案編」を書くのは、ちょっと退屈なのですが、とりあえず書いてみます。。。。

 

今日は、「地域委員をなくしたら、地域との関係はどうするのか!」というご意見に対してです。

 

前提情報としては、

①地域活動が盛んで、結構大きな夏祭りやら、いろいろと子供達がお世話になっている地域です。

②地域委員の役回りは、「敬老会」と「ボランティアの取りまとめ」があります。

③「ボランティア」は、「委員」とは別で、「各家庭に1回」手を上げる義務があります。その年のボランティアは、4月当初にイベントごとに割り振られ、そのイベントが開催される時だけ手伝えばいいのです。

 

 

「地域なんて関係ない。地域の会議のほとんどは、出席されている人生の先輩方の生きがい創出の場ではないかー!」と言う気は一切ありません。

 

PTAの負担感からくるストレスマグマの放出先を、「地域との絶縁」に向けるようにする人がいますが、ちょっと違うように、私は思います。

 

(もちろん、ご長老方と対話をして、PTAの負担を減らしていく余地は、沢山あると思います。が!)

 

また、これらの方は、PTA役員OB・OGだったりしますので、味方につけつつ(或いは、傍観者にとどめつつ)進めないと、本丸である「PTAの組織のお掃除」が進みません。スタンドから物を投げつけられたら、フィールドでのゲームはできませんので。。。。

 

はい!地域との関係は、いろんな意味で重要です。

実際、夏祭りの準備などは相当大変です。ありがとうございます。

 

さて、

私が言っているのは「関わり方改革(案)」です。

 

同じことをやるにしても、関わり方の質が違えば、全く違った形になると思います。

クジで決められる委員がやるのではなく、主体的にやれる人、やってくれる人にお任せすればいいのです。

 

というか、地域委員が担っているのは「ボランティアの取りまとめ」なので、取りまとめ機能がなくなるだけです。

今のやり方を変えれば、そもそも取りまとめ機能をなくすことも可能だと思いますし。。。。

 

でも、まあ、感情論の人たちは、「委員」と「ボランティア」の違いは無視して、「地域との関係がーーーーー」と叫ばれます。

 

で、一旦、その土俵に乗るとして、、、、

 

仮に、万が一、当日手伝う人が誰もいなければ、地域に謝りに行けばいいのですよ。

 

PTA経由のボランティアでなくても、自治会経由で小学生の保護者(=PTA会員)がお手伝いに行ったりしていますしね。

地域に「誰の子供のためにやってると思ってるねーん!」と怒られる筋合いではないです。

 

ただ、これと同時に、PTA内で「ボランティアを機動的に募る機能」を持つべきです。「やってもいいよ」って人に、「お願ーい」がちゃんと届く手段を整備しておく必要があります。

 

夏祭り前に、

 

「○日○時から2時間程度。テントを運んだりする要員が○名不足しています。どなたかお手伝いいただけませんかー?」

 

と発信できる機能です。

 

で、手を上げてくれた人がすぐにわかる機能です。

(LINEのような、双方向でやりとりができるもの。ミマモルメは一方通行。)

 

ちゃんと手段を持てば、「各家庭1回の(強制)ボランティア」ではなく、「お、ちょっと手伝いますよ!のボランティア」が集まりますって。

 

地域に迷惑はかけません。

「子供達が夏祭りを楽しみにしている!」ってだいたい親は思ってますもん。

 

手伝いがいなければ、成り立たなくなるだけでしょ。あたりまえ!

やりたくても出来なくなる。。。。世の中そんなことなんぼでもありますやん。

 

地域の行事、、、、我が事として考える「仕組み」にしておけば、やりたい人、できる人が毎年手伝ってくれます。

 

そんな人が居なくなる頃は、、、、地域の人口減少が進み、地域という概念すらなくなっている時でしょう。。。。きっと。知らんけど。

 

 

「だから、それを誰が取りまとめるのかー!!!!」という声が聞こえてきます。

 

そもそも(現在の古い)委員の仕事の質が変わるので、

「ボランティアを機動的に募る機能」があれば、誰かがちょこちょこってやるだけでしょう。本部に、専属で配置してもいいし、そういうお世話をしてくれる人を募集してもいい。

 

少なくとも、クジで強制的に決めて、1年間その任にあたる「委員」はなくせます。

 

以上。

 

P.S.

「敬老会はーーーー!」という声も聞こえてきますが、「え?そもそもPTAが敬老会に人を出すの⁉︎」勉強不足ですみません。。。。

 

いや、わかりますよ。地域との関係、お年寄りへの敬意、子供達と、、、、。何れにせよ、「委員を廃止しませんか?」に対しての反論としては、重箱の隅ですね。

 

如何様にでも調整できます。

11.PTA「関わり方改革(案)」具体案編ー委員廃止(その3)

今日は、

 「推薦委員をなくしたら、次期本部役員を決めるのに苦労する!」

というご意見について、シンプルに回答してみます。

          考え方はシンプルなんですが、いつも長くてすみません。。。。

 

いやいや、

「推薦委員が居ても、毎年、苦労していますよね。」

 

だから、何度も何度も、「役員をやってくれ」というお電話をされるわけじゃないですか。。。。

「役員をやってみませんか?」ではなく、「やってください。」と。

 

今年も、副会長がギリギリまで決まらなかったわけですが、その際、旧本部の方達が、こんな話をされていました。

 

「決まらなければ、推薦委員が責任を取って、推薦委員の中から副会長を選ぶべし」

 

なるほど。

決まらなかった時の保険⁉︎として、推薦委員があるってことですかね?

 

こうなると推薦委員の方は、「とにかく誰でもいいから、見つけよう。」という思考になりますね。どんな人でも、決まればいいと。

 

シンプルに考えましょう。

 

推薦委員が要る、要らないの前に、推薦される側の本部役員について、向き合ってみる必要があると思います。

 

なぜ、「みんなやりたがらない」、或いは、「やってもいいとは思うけど、できない」のかについて、向き合って、見直しをしましょう。

 

 

私のアイデア「その1」・・・役員を「やれる」人を増やす!かつ、負担を減らす!

 

<お役シェアリング>

 

①平日昼に動ける人と、②週末や夜に動ける人とで、役をシェアしたらいいのではないですか?という案です。

 

バディー制にして、副会長2を「2×2」、書記1を「2」、会計1を「2」に、人数を増やすのです。現在、会長を入れて「5」の役員ポストの数はそのまま、人数を9人にします(会長は1人のまま)。

 

バディー同士は、情報を共有しあい、一つのポストの仕事をシェアします。

①は主に専業主婦(夫)が対象、②は主に仕事をされている方が対象となるでしょう。

 

これにより、PTAではあまり見かけないお父さんの参加も促せます。

 

これまで、

 

「やってもいいけど、平日昼間の会議に参加できないしな。。。。」

 

って思われてたお父さん、出番です!

 

また、地域活動が盛んな地域ですので、いろんな団体の会議に顔を出さねばなりません。現状、会長と両副会長の3人が、主に会議担当をされています。3人で分担しても、一人あたり、月に2回、3回と、週末の夜の会議があります。

 

負担感を考えると、せめて月1回の出席が限度じゃないですか。。。。?

 

「本部役員の人数を増やす」ってシンプルな発想で解決できると思います。

 

もちろん、地域と戦って(?)、拘束される会議の数を減らすって方向もあると思いますが、「地域の夏祭り」とか、子供たちがお世話になっていますからね。。。。

 

地域の会議が、高齢社会の生きがいになっているという「福祉」の意味もあったりしたり。。。。?

 

いずれにせよ、ここに切り込むのは、あまり生産的ではないように思いますし、地域と繋がるって結構いいもんですよ。

 

会議などの仕事をシェアすればいいだけです。

 

 

私のアイデアその2・・・選抜方法そのものを見直す!

 

ずばり、<推薦委員廃止>

 

廃止が目的ではないですけど、廃止しても困りません。むしろ、廃止した方がいいです。

 

「無理やりでも誰かに押し付ける」って力学の働く推薦委員なんて要りません。

 

そもそも、なぜ、皆さん、役員をやりたがらないのかってことを考えてみる必要があります。

 

やってみると結構楽しかったりします。子を持つ親として「社会貢献」の一つとしてPTAってのも、十分あり得る選択肢のはずなのに。。。。

 

想像してみると、、、「箱の中身はなんでしょか?」ゲーム理論⁉︎ではないかと。

 

箱に手を入れて中身を当てる、って、あのゲームです。

 

人間、よくわからないものは、怖いのです。

「本部って何をするの?」ってよくわからないから、怖いのです。

 

「平日昼間に集まらないといけない」らしい。。。

「週末の地域の会議に出席しないといけない」らしい。。。

「とにかく大変」らしい。。。

 

と、「らしい」噂だけが、大きく大きくなっているのではないですかね?

だから、誰も引き受けたくない。

 

今、引き受ける人は、お子さんが沢山いて、一気に委員歴のお花マークをつけたいって人、或いは、私のような変人ぐらいです。。。。

 

「平日昼間に集まれなくても、お役シェアで、(事実)大丈夫です。

  ちなみに、今は、推薦委員が適当に「大丈夫」と言っている。。。

 

「週末の会議は月一回程度です。」

  正しい負担感がわかれば、判断できる。「それくらいなら。。。」と。

 

「これくらい大変です。でも、こんな喜びもありました!

  って、言える人は誰ですか?第三者の推薦委員ではあり得ません。

           ↓

推薦委員の仕事って、「本部役員」がやる方が絶対いいと思います!

 

「本部の仕事」説明会を開いてもいいし、いろんな伝達手段で、本当の苦労と楽しさを伝えてあげれば、今より前向きに引き受けてくれる人を見つける確率は、相当上がるのではないかと思います。

 

「誰でもいいから、頼み込む」ような推薦委員は要りません。

 

念のため、、、、「本部の仕事が増えるー!」ワーッて、言う人へ。

 

大丈夫です!

①本部の人数増えています。

②今の推薦委員の仕事をそのまま本部に持ってくるわけではありません。

③委員をなくして、クジをなくせば、そもそも本部の仕事は減っています。

 

以上。

ね、推薦委員も要らなかったでしょ?

  

はい。「地域委員はどうするのだ!」と新しいモグラが出てきます。

そろそろ、「具体」を潰すのは飽きてきたので、次回で、具体案編は最終回とします。

 

抽象思考で本質を見極める努力を一緒にしましょう。「具体」の反論は、意味をなさなくなりますので。。。。

 

その上で、具体的な懸案について、知恵を出し合う、健全な努力をしたいものですね。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

10.PTA「関わり方改革(案)」具体案編ー委員廃止(その2)

「絶対必要」と思われることもあるのは認めます。ただ、「手段」と「目的」が、グチャグチャになっていませんか? シンプルに考えましょう。

 

「手段」が 「目的化」しちゃったら、よりよいアイデアは浮かびませんよって話をします。

 

さて、

「やりたい人が集まらない行事・役割は止める!だから、委員は無理に決めなくていい」と提案すると、ワァーとご批判をいただきます。

 

例えば、「安全委員会」について、こんな非難を受けます。

 

『安全委員がいないと、不審者が出た際(事後の一週間)、子供たちの帰宅時間に行なっている「安全パトロール」ができなくなる。

 

(現状の)安全ボランティアに登録した人達の多くは、パトロールに出てきてなかったし、安全委員ではなくボランティアに任せたら、誰もパトロールに出なくなる。

 

それとは別に年1回、通学路をパトロールをして、市との協力の下、(校区内)安全マップを作成しているのに、マップができないばかりか、市との関係はどうなるのか?』

 

と。。。。

 

恐縮ながら、反対のための反対理由?と思ってしまうようなご意見が、これら以外にもわぁっと出てきます。

 

もちろん、子の安全を思う親心から出ている心配なのだと思います。

 

でもですよ、他のやり方ないですか?それが、1年間の安全委員をクジで(無理矢理)決める理由になりますか?

 

「安全委員」を決めて、パトロールをするのは「一つの手段」に過ぎないのです。

 

「目的」は、子供たちの安全・安心を守ること!!

 

まず、不審者対応。

 

発生事後の一週間、下校時間だけ、安全委員が10名ほどでパトロールするより、いい方法ありませんか?

 

私なら、

 

①不審者発生を未然に防ぐ抑止力を考える。

 

保護者に配布されている首からかける証明書(学校に入る時ぶら下げるというルール)を派手な色のものに変えて、地域内にいる時はいつでもぶら下げるように協力を求める。

 

買い物する時も、バス停に行く時も、犬の散歩をする時も。なんなら保護者以外の地域のおじいちゃん、おばあちゃんにも配布して、協力を求める。

 

地域中の大人が、普段の生活の中で「パトロールしてますよ」ってアピールしている地域!相当な抑止力になると思いませんか?

 

②下校時間の見回りを10名程(安全委員)より増やす策を考える。

 

①の抑止力をすり抜けて、不審者が発生してしまったとしましょう。別に安全委員でなくとも、不審者が出た後は、家にいる親なら協力しますって。今の依頼メールの文面を変えれば、必ずできます。

 

今の依頼メールはこんな感じ。。。。

 

「先日、不審者が発生したので、安全委員及び安全ボランティアは、今日から1週間、子供たちの下校時間にパトロールに出てください。」

 

いやいや、、、、

 

「安全委員が出るのなら、自分はまあいいか」って思わせてません?

「柳の下にドジョウは、もう居ないよ」ってツッコミをいれられてません?

「パトロール」ってなんだか仰々しくないですか?

 

例えば、こんな依頼メールに変えてみたら、どうでしょう?

 

「不審者が出て子供達が不安がっています。今日から1週間、ご都合のつく保護者は是非、家の前に出てください。「あなた」と「わたし」が見守っている姿、その姿が、子供達を安心させるはずです!」

 

 

次に、安全マップ。

 

毎年改定が必要ですか?配ってるだけになってませんか?

 

例えば、子供達と一緒に通学路を歩いて確認するとか、子供達自身に考えさせて改定するとかの方が良くないですか?

 

新しい形のボランティアさん達は、楽しく、主体的に、効果的な方法を考えてくれますよ。。。

 

市との関係を気にするのは本末転倒。怒られるのなら、私が謝りに行きますよ。そして、市と議論して、より負担感のない形を模索します。

 

委員を選出することは「目的」ではありません。「手段」です。

 

子供達の安全・安心を実現することが「目的」なのだから、「やり方(手段)」を工夫すればいいだけです。

 

惰性でやってたら、より良い手段は生まれないと思います。

 

時代に即したPTAの「関わり方改革‼︎」を検討しているのです。

 

「やらされている感」をなくし、「できる人が、できることを、できるだけ」積み上げるという主体的な活動に変える「関わり方改革‼︎」です。

 

この上位目的を達成するために、まず、「クジを止める」のです。

 

その後に発生する影響への対応を建設的に議論しましょう。 「手段」と「目的」を混同してはいけません

 

「委員会は廃止」で行けます!

 

、、、、と言うと、次は、推薦委員はどうするのだ?と「モグラ叩き」が始まります。。。。

次回は、「推薦委員は絶対必要」という「モグラ」を叩いてみます。

 

 

 

9. PTA「関わり方改革‼︎(案)」具体案編ー委員廃止(その1)

前回、基本コンセプトについて書きましたが、今回から、どんな姿にしていくのがいいかという案を書きます。

 

シンプルに考えていきます。コンセプトに立てたように、「やらされる」のではなく「主体的」に関わるための、「関わり方改革!」です。

 

はい、委員会をなくしましょう。

というか、委員会ごとに決められている「やらなければならない」を一旦見直しましょう

 

例えば、学年委員は「親子行事」を企画・実施することが仕事の一つとされていますので、例年、新しい委員さん達が、よくわからないまま、引継書を見つつ、同様の「親子行事」を惰性で、必ず、実施します。

 

もちろん、総じて「子供達は楽しんでいる」のは間違いないでしょう。でも、「風船割り」をするために、平日夕方、仕事を休んでまで来ますか?自分の親が来ない子が、寂しい思いをしているとう声もあります。

 

先生方の中には、「(心の中で)余裕のないカリキュラムの中、7時限目をこんなイベントで取られたくない」と叫んでいる方もいらっしゃるのでは?まあ、「子供達のため」って建前の前では、教員として口が裂けても言えないけど。。。って。

 

「親子行事が重要」と思うのも、「親子行事なんていらない」と思うのもどちらも個人の主観、意見です。ここを戦わせても何も産みません。

 

シンプルに考えましょう。

 

この行事を行うために、委員を(無理矢理でも)決める必要ありますか?「楽しい行事を企画したい」という方が手を上げて実施できるはずです。1年間の委員はやりたくないけど、この行事の企画だけならお手伝いできるって人はいるはずです。全員が公平に、(無理矢理にでも)委員を担わなければならないって考えを捨ててみませんか?

 

各委員の今ある一つ一つの行事、役割の必要性を判断するのは、結構難しい。なぜなら、「必要」も「不必要」も個人の主観で、何百人もの会員がいれば意見は様々。瞬間最大風速で多数決を取っても、必ずしも納得がいける正しい答えとは限りません。

 

でも、「委員の役割」と固定してしまうと、なんの改善も見込めません。惰性です。本当に、今のやり方が正しいのか?もっと、効率的、効果的なやり方はないか?という意識は生まれません。

 

委員を廃止して、行事、役割ごとに、主体的なボランティアを募り、「やりたいことを、できる範囲で、できる人たちが」行えば、相当なことができると思います。やり方の改善も期待できますし、何より、より楽しいものに生まれ変わることだって期待できます。

 

仮に、逆に「親子行事」はもういいんじゃない?という人ばかりの時は、実施しなくてもいいと思うんですよね。

 

「私」は、PTA廃止論者でも、解体論者でもありません。PTAに込められてきた「保護者の思い」を引き継ぎつつ、時代にあった「カタチ」に変えていくために、委員を廃止しませんか?

 

と言う話をすると、「見守りパトロール」は子供達の安全のために必要だ!ボランティアが集まらなかったらどうするのか!と反対される声が出てきます。

 

次回は、「より効率的、効果的なやり方のアイデアがでる」という話をします。

 

 

8.PTA「関わり方改革‼︎(案)」コンセプト編

それでは、「私」の考える、うちの小学校の「PTA改革(案)」を書きます。

 

今、まさに動き始めてるところ、スタートラインなので、何も成し遂げていません。絵に描いた餅です。これから一年、実験をしながら、議論を尽くしていきます。

 

(このブログを読んでいただいた方から、ツッコミや応援の声をいただければ、より良いものにブラッシュアップできるかと思いますので、是非お願いします。)

 

ちなみに、組織のあり方は常に見直されるべきだと思うので、最終ゴールはないと思っています。が、今の時点で見渡すと、この方向がいいと信じています。

 

冒頭に「PTA改革(案)」と書きましたが、基本的に私はPTAは必要だと思っています。というか、その存在を否定するほどの思いは持っていません。

 

今までの役員さんも、委員さんも、会員さんも、それぞれその時代時代で、尽力されて来たと思います。今では制度疲労と思われるような部分も、昔の委員さんたちが、その当時の情勢を踏まえ、検討され、ベストを選択した「成果」です。

 

まずは、ここをリスペクトすることから始めないといけないと思っています。

 

だから、「PTA改革」などとおこがましいことを言いたいわけではなく、「関わり方改革‼︎(案)」を提案したいのです。そして、求められているのなら、それを実現したいのです。

 

蛇足ですが、「PTAは法律違反を犯している!」と叫びながら、「是正する」というスタンスは、なんだか殺伐として「私」の気持ちとは離れます。

 

人は楽しいところに集まると思うので、皆んなが「PTA」と聞くと、「楽しい」ところ(=社会貢献、友達づくり、学校の様子を知る、充実感、、、、人それぞれ)、楽しい雰囲気のところ、とイメージできるところになればいいなと。

 

と、前置きが長くなりました。。。。。

 

コンセプト

今まで、「やらねばならない」「やらされている」という意識の関わり方を、今後は、ボランティア精神を持ち寄って、「できることを、できる範囲で、主体的に」関わることに変えて行こう!というのが基本コンセプトです。

 

そもそも、「やらされている」という仮説が間違っていて、皆さんが今まで通りでよいとおっしゃるなら撤退しますが、「私」は「この世の終わり」になっている方を見てしまっています。。。。

 

コンセプトが実現されるなら、必ずしも、やり方にはこだわりません。「私」の示す手段が受け入れらず、他にいいアイデアを出していただき、「私」の案よりいいと思ったら、そちらを全力で応援します。。。。

 

長くなったので、具体策は次回に。

 

 

7.PTA:子供のため?学校のため?誰のため?

以前、「子供のため」「学校のため」と何度か書いたのですが、「危険なワード」とご指摘もいただいたので、「私」の考えを書きます。

 

うちの学校の規約にはPTAの目的がこのように書かれています。

「PTAは、保護者と教職員が協力して、(中略)児童の健全な成長をはかるとともに、教育に関する理解を相互に深めることを目的とする。」

 

最初に書いているのは、「児童の健全な成長」なんですよね。

シンプルに「子供のため」で間違いないと思います。

 

で、ですね、でも怖い。

「危険なワード」であることに強く同意します。

 

役員が承認される総会が2月にありましたが、「私」挨拶しました。その中で、、、、

 

「PTAは、究極的に「子供のため」で間違いないと思います。ただ、間違いがなさすぎて、逆らえないというか、文句を言えないというか、水戸黄門の印籠のように強すぎるのは、如何なものかと思います。」

 

という旨を話しました。

 

「心」に重きを置いています。繋いできた心。

「私」が以前のブログで書いた「子供のため」「学校のため」は、

「子供のため」と思う親としての心、「学校のため」と思う地域住民としての心

を繋いでいくべきではないかという件で言っています。

 

運営の判断基準としたら危険では⁉️

日々の運営において、

『「子供達のため」に必要です!』と言われたら反対できない。。。。

みたいな「子供のため」はどうなんでしょうか?と思うのです。

 

親が疲弊しても

先生が(心の中で)迷惑と思っていても?

 

ことば遊びをする気はないのですが、先の挨拶で私は、「今年1年、「先生のため」を掲げたい」と言いました。

 

PTAは先生の味方だと。一緒に考えようと。

その結果、先生に時間的、精神的余裕ができれば、ひいては「子供のため」になるのではないかと。

 

日々の運営を考えるときに、「先生のため」になっているか?

を考えながら、子供たちが喜ぶことを、役員・会員が「できることを、できる範囲で」前向きに、主体的な活動として行っているか?

で判断していったらいいのではないかと考えています。

 

もちろん、先生にゴマ擦ったり、馴れ合いになったりなんて意味ではありません。。。

6.PTA:不用論者ではありません。先人への感謝

たまにいらっしゃいます。PTAの中で改革をされながら、

「PTA不要論」を唱えられる方。

 

かっこいいなーと思います。ちゃんと組織の中で汗をかかれているから。。。

でも、「不要論」には要注意。

 

よく聞くと、「今のPTAはいらない」「一度壊して、別の組織を立ち上げる」「その方が(改革が)速い」「・・・・・」

ふむふむ。PTAはいらないけど、PTAにかわる別の組織はいる。。。。?

 

PTAのオバケを見つけられ、その手強さを知り、じゃあゼロベースでやろうって考え方ですかね。。。。?

 

なんかスッキリ爽快に聞こえるのですが、私の方向性とは少し異なります。

 

変えて行こうってベクトルは一緒と言っても怒られないですよね・・・?(違ったら、ごめんなさい)

 

3.PTAの意義。変えられないもの。 - PTA、時代に合わないなら、変えちゃえばいいんじゃない?

に、書きましたが、繋いでいかないといけないものがあると思うのです。

 

「子供たちのため」「学校のため」って思い。

 

今のPTAが制度疲労しているのは事実だと思います。だからと言って、ぶっ潰して、

新しい組織を作っても、数十年後にはまた制度疲労するでしょう。

 

家を建てて、古くなったから、取り壊して新しく立て直す。

古い町家をメンテナンスして、改修して、居心地のいい場所を作っていく。

ちょっと例えが違うかもですが、後者の道を選びたい。。。。

 

だって、制度疲労しているけど、時代にそぐわなくなっているけど、役員の皆さん、委員の皆さん、よくやっていただいています。昔から、今でも。

感謝の気持ちをもちつつ、思いをつなぎつつ、新しい箱を作る。

 

それが私の会長としてのスタートラインです。

 

でも、変えるべきはバリバリ変えたい。そう、私には時間がないのです。。。。